【シリーズ 戦争責任・記憶】

名古屋市における戦災の状況(愛知県)総務省HPhttps://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/tokai_06.html

爆撃目標となった理由

 名古屋は工業都市であり、三菱重工業名古屋発動機、同名古屋航空機、愛知航空機、愛知時計電機、陸軍造兵廠、住友金属工業、大同製鋼、神戸製鋼、日本車輌製造、名古屋造船、岡本工業、大隈鉄工等、多くの工場が立地していた。
 また、名古屋は航空機産業のメッカであり、とりわけ航空機生産の最大拠点である三菱重工業名古屋発動機は、東京の中島飛行機武蔵野工場とともに、米軍の日本本土空襲の第一目標であり、繰り返し目標爆撃の対象となった。

空爆の目的と種類

 初空襲は、昭和17(1942)年4月18日で、B25が2機来襲し、全部で6箇所に焼夷弾被害があった<ドゥリットル空襲>。その空襲の主な目的は、アメリカ国民の士気高揚であったとされている。
 そして、米陸軍航空隊(B29)の空襲目的は、まず、目標爆撃、精密爆撃により航空機産業の生産拠点を破壊することであり、さらに、焼夷弾による地域爆撃により、名古屋市街地を爆撃することであったが、他にも、気象観測、伝単(ビラ)の散布、偵察等といった目的でもB29は飛来した。
 また、B29の掩護等のためP51戦闘機が来襲したこともあった。
                        (参考文献:『新修名古屋市史』第六巻)

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